長野駅
徒歩
苅萱山西光寺(チラ見)
徒歩
善光寺(ちら見)
徒歩
弥栄神社
徒歩
善光寺(戒壇めぐり)
経蔵

長野新幹線は本数が少ないので朝早く家を出ます。
長野駅に到着し、ホテルに荷物を置き、とりあえず観光情報を得るために駅の観光案内所へ。
観光案内所に行くと、長野県内の各市町村の観光地から出されているパンフレットなどが置かれ、
観光に力を入れているなというのが感じられます。
とりあえず、今回の旅行で行く長野市内、松代、松本、安曇野のパンフレットと、
松代行きのバスの時刻表を貰うと、善光寺に向けて出発しました。
さすがに善光寺ともなると、地図を見ずに行けます。
が、思ったより距離がありました。
途中の宝くじ売り場で宝くじを買ったり、刈萱山西光寺をチラ見したり。
西光寺をチラ見しなければ、長野駅からバスで善光寺という手もあったのですが...
とりあえず善光寺をチラ見して、近くの神社で何かをやるというので見に行きました。
弥栄神社の天王上げという儀式です、今回の旅行では特にイベントがないので、
何かないかと探して行ってきました。
天王上げは、長野の夏の風物詩だった「祇園祭り」の終わりの日に行われる行事です。
これと対になる行事が7月7日に行われる天王下ろしです。
この7月7日から7月14日までが「祇園祭り」となります。
最終日だから、特にこれといったものはありませんでしたが...
それが終わったら、再び善光寺に戻り、本堂拝観、戒壇巡り。

戒壇巡りですが、本当の暗闇というのは初めてです。
まずどこへ行って良いのかわからない、
前に人が居るのかもわからない、
ただ、後ろから来たおばちゃん集団は、賑やかに喋りながら歩いてくるので、
認識は出来ましたが...
かく言う私も、錠前付近で前の人に体当たり、とまではいきませんが
ちょっと当たりました。
触るために停まったり歩行速度が遅くなったりするから当然といえば当然ですが...
短いようで長かった暗がりを抜けて、ようやく明るい光が見えてきました。

暗所恐怖症克服企画
善光寺戒壇めぐり
松代象山地下壕
東光寺戒壇めぐり
の一つ目が完了しました(笑)

そして経蔵、おかしいな、動かないぞ、さっきおじさんがグルグル回してたけど...
これを一人で回せとな!?
回らないんですけどとは言えないので、渾身の力を込めて、
エイヤーーーーーーーーーーーー
あー回った、危ない危ない(笑)
そのあと、境内の奥の方にある塔に向かって歩きました。
途中、紫陽花の群生、この時期でも咲いているんだと感心しながら塔へ。
この塔は、善光寺日本忠霊殿で史料館を兼ねています。
明治時代以降の戦死者の霊を祀っているもので、全国で唯一の仏式らしいです。
資料館には善光寺に古くから残る仏像、善光寺の扁額などが展示されています。
また、古くから残る善光寺にまつわる逸話を絵に表したものが多数飾られています。
善光寺にお参りに来る途中で何々仏を見たとか、不思議な光が見えたといったものや、
怪我が治った、目が見えるようになったというようなものまであります。
牛に引かれて善光寺参りというのも、そんな逸話の一つです。
そのあと、別の道を通り本堂へ向かうと、途中でやはり紫陽花の群生地が、
その側に、2頭の牛の人形、善子と光子、「森永乳業」親父ギャグか...
さて、善光寺の拝観を終え、善光寺前からバスに乗り長野駅へ戻りました。
本当は、途中の刈萱山西光寺で降りて、絵解きを聞いていこうと思ったのですが、
降りるバス停がわからなくて、面倒だから長野駅。
バス停は「かるかやさんまえ」で良かったっぽい。
「西光寺」としか覚えていなかったので...
バスの案内で「西光寺」はこちらでお降り下さいくらい言ってくれても良かったのに。
長野駅についたとき、小腹が空いていたので、西光寺に向かいながら御飯を食べようと、
るるぶをチェック、西光寺の裏手に蕎麦屋が有るっぽいことが判明。
長野といえば蕎麦というわけで、とにかく蕎麦を食べようと入ったのですが、
更科、田舎、もり蕎麦といろいろあるので、どんなものなのか聞いてみたら、
三色蕎麦があるので、それを食べてみてくださいと。
というわけで、それにしました。
恐らく過去の旅行で一番高い御飯1500円。
この蕎麦、食べ方の指南付きです(笑)
まず、更科から食べるんだそうです、薬味はわさびのみ。
早く食べないとコシがなくなる、そして他の薬味を入れるのは勿体ないと。
これが蕎麦かというくらい、全く新しい感覚です。
他の蕎麦も、薬味を入れながら美味しく頂きました。
最後はそば湯を頂き、お腹もいっぱいになったので、
大満足でお店を後にしました。
そのあと、すぐ近くの刈萱山西光寺へ絵解きを聴きにいきました。
西光寺の境内に入り本堂へ行くと、お掃除をしているおばさんと、
仏前に座ってなにやら呟いている人がいました。
あれが絵解きなのかなと思いながらも、すいませんと声を掛けると、
掃除をしていたおばさんが出てきたので、絵解きをお願いしたいのですがと言うと、
じゃあ上がってくださいと。
あのおじいさんは時々来て何かを熱っぽく話していくそうです。
絵解きは「刈萱道心と石堂丸」、「十王巡り」、「地獄絵図」
AコースとBコースがあり、Aコース40分(300円)、Bコース1時間(500円)
時間には余裕があったので、Bコースの方を頼みました。
絵解きというのは、屏風絵を見ながら、物語を語っていく、紙芝居みたいなものです。
3枚の折り畳み式で、3枚の内1枚は色褪せてしまって内容はわからないんだとか。
話の内容は実際に聞いて頂くとして(笑)
このあと十王巡りと六道地獄絵図の絵解きになります。
十王巡りは絵解きではなく、十王像の前に座って、それぞれの役割などを語るものです。
十王というのは、死者が地獄に行くか極楽に行くかを裁くための裁判官といったところでしょうか。
細かく分けると六道というものもあるのですが、ここでは省略します。
十王の中で有名なのがあの閻魔様です。
閻魔様は地蔵菩薩と同じ人とされており、常に人々の傍にいて生き様を見守っています。
そのため、閻魔様の前では嘘をつけない、全てお見通しというわけです。

十王の中には、書類審査で落としてしまう人、その書類を天秤に載せて重さだけ裁く人、
意外と適当な人が多いので、多人数制になっていると(笑)
裁判は7人目までは7日ごとに行われ(初七日から四十九日)、
それに百ヶ日忌、一周忌、三回忌で全部で10人となります。
裁判は7人目までで判決が出るので、百ヶ日忌、一周忌、三回忌は、再審イメージです。
更に13人タイプがあり、七回忌、十三回忌、三十三回忌が追加されます。

昔は、それぞれの日に法要を行っていましたが、今は初七日と四十九日、一周忌、三回忌くらいでしょうか。
この法要により、死者の罪を減じてもらい、地獄の苦しみから救うというのが、本来の法要の意味とされています。

結局の所、お坊さん以外は地獄に落とされるとされています。
殺生、偸盗、邪婬、盲語、飲酒の五悪を行ってしまうからです。
昔のお坊さんは生ものを食べない(肉や魚など)結婚をしない、
酒を飲まないなど戒律が厳しかった、ということは、
現代のお坊さんも、たぶん地獄行きなんだろうと...

あの地獄に堕ちるわよとか言っているおばさんも、
結局の所地獄に堕ちるということになります(笑)

死者の供養、先祖の供養は大切なものなのだということを教えるために、
十王信仰というものがあるわけです。

そして最後は六道地獄絵図です。
先ほどの十王巡りと密接に関係しているもので、地獄絵図にも十王が描かれています。
私は子供の頃に、地獄の出てくる物語を読んだことがあるので、大体知っているものでしたが、
いくつか異なっていたり、知らなかった部分があり、その中でも三途の川がだいぶ違っていました。
この絵の三途の川は、三途の川の由来である三つの途、
重罪人は深い所、普通の人は浅瀬、お坊さんは橋を渡れるという三途。
これに基づいて描かれていました。
船で渡り、渡り賃が六文銭だという話は、これより少し後に出来た話らしいです。
更に渡り賃がないと身包みをはがされるという話も、後の話だそうです。

順番では次に十王による裁判となるのですが、この絵では地獄の絵図が三途の川の次に描かれています。
有名な針の山、釜ゆで、血の池、賽の河原などの絵が続きます。
この中であまり知られていない地獄を挙げると、
子供が産めなかった女性も子孫が絶えるという理由で地獄に落とされたと言われています。
この絵が描かれた時代は、やはり男社会なので、女性の不貞に対して厳しく描かれています。
先ほどの十王巡りで坊さんは地獄に堕ちないと言いましたが、
それでもやはり人間、不届きな坊主もいるわけで、そんな様子も描かれています。

地獄は無限地獄です。
やんわりとした表現で説明すると、
例えば、地獄で鬼に頭をかち割られ、脳髄を啜られて死んでも、
また、生き返り、同じ苦しみが永遠と繰り返されます。
死んだ人が死んだり生き返ったりっていうのもおかしいけどと、
絵解きをしてくれた人も言っていましたが(笑)

所々色褪せているところもありますが、リアルな描写で、多少グロテスクな部分もあります。
話も若干グロテスクな内容を含んでいましたが、まあ子供にも聴かせる話なので、
それほどきつくはありませんでした。
実は私、グロ話には滅法弱くて、高校の時、授業の横道に逸れた先生がグロ話を始めて、
1人で顔を真っ青にして、廊下で休憩なんてことがあったくらい弱い(笑)


そして、最後が十王による裁判の様子です。
これは先に触れているので、省略します。

その話が終わった後、世間話となり、
子供がこのような話を聴く機会がなくなっている。

それと、今時の子供は身近な人の死を経験することも少なくなっているということも、
やはり死に対する意識が薄くなってしまっている一因ではないかという話をしました。

人との接点が極端に少なくなっていて、例えば親戚付き合いでも家が遠かったりして自然と疎遠になり、
また近所付き合いが減ることで、よく遊んでくれるお爺さんやお祖母さんといった存在が少なくなります。
人との接点が多い生活の中では、やはり1人や2人は亡くなる方がいて、
自然に「死とは」ということについて、考えさせられる時期が存在し、
そこから死に対する意識が醸成されていく、ベースが出来ると思います。

きちんとした死に対する意識があれば、テレビやゲームなどで人が死んだり、
生き返ったりする場面に遭遇しても、実際の死はそんなものではないということになるのですが、
死に対する意識が育たないうちに、テレビやゲームなどで、
死んだ人が生き返ったりするようなものを繰り返し見ることによって、死というものが軽視される。
「なんで人を殺しちゃいけないの、生き返らせればいいんでしょ」
というのがテレビやゲーム内での笑い事では済まなくなるような気がしてなりません。

と、ちょうどいじめ問題が騒がれ始めた頃だったので、自然とそんな流れに話がいって、
聴者が私1人だけだったので、他にもいろいろ世間話をしました(笑)

Aコース40分だと300円、Bコース1時間だと500円。
六道地獄絵図までだとBコース1時間、なので500円を払いました。
1人だと効率悪いだろうけど、嫌な顔一つせずお話をしていただきました。
黙っていても観光客は来るんだと驕っていない長野の観光地、
人々の温かさに触れた旅行でした...
ってまだ終わらないよ。

さてこれからどうしようか、と考える前に絵解きをしてくれた人が、
「今日はこれからどうするの?」
「今3時30分チョット中途半端ね、でもホテルに帰るには勿体ないわね」
だから怪しくないから(笑)

「善光寺はもう行った?」
「はい」
「じゃあ小布施とかどうかしらね〜」
というわけで私は、ガイドブックを取り出しチェック。
行くのに時間がかかるから、着いた頃には拝観時間とか終わっていそう。
「ちょっと難しいですね〜 適当に行ってみます」
「そういえば、その本ウチは載ってる?」
載っているので見せると「あー『十王巡りの』って入れてもらおうかしら」
というわけで、私も宣伝を仰せつかってきたので、
長野へお越しの際は、刈萱山西光寺の絵解きを体験してみてください。

一番効果的なのは、バスのアナウンス
「次はかるかやさん」のバスの案内で
「次はかるかやさん、絵解き刈萱」

そして西光寺を後にして、一路長野駅へ、とりあえず長野電鉄に乗ってみようと(笑)
長野駅から長野電鉄で権堂駅下車、秋葉神社にネタで行って来ました。
んー大したことないな...
と、フラフラ歩いていると、あっ善光寺だ(笑)
夕方の善光寺、仲見世通り静かだな、さすが朝の寺だけあると。
周辺の宿坊から、ネクタイ姿のサラリーマンやジャージを着た学生が、
出てきて周辺を散策している姿も見受けられました。
あー観光で来るのはいいけど、研修とかでは来たくないなと思いながら、
再びバスに乗るためにバス停へ。
バスに乗り長野駅へ戻ると、お土産屋さんでおやつをゲットし、ホテルへ戻りました。

そして翌日、この日は松代観光です。
交通手段は、JR/しなの鉄道+長野電鉄、長野電鉄、直通バス、路線バスの4つがありますが、
この日は、途中で川中島古戦場跡(八幡原史跡公園)と典厩寺に寄りながら松代へ向かうので、路線バスを使用しました。
さて、まず立ち寄ったのが川中島古戦場跡です。
川中島合戦は、犀川と千曲川に挟まれたこの一帯で行われました。
この戦は武田信玄と上杉謙信の間で幾度にも渡り行われ、ついに決着が付かなかったことで有名です。
長野県は戦国時代の信濃国で、現在の山梨県を中心とする甲斐国と共に武田氏の拠点で、
ゴールデンウィークの南東北旅行で訪れた米沢は上杉の本拠地です。
米沢を訪れたとき、行われていた米沢上杉まつりでは、米沢市内の松川河川敷で
この川中島合戦を模したイベントが行われました。

さて、古戦場跡ですが、ここには社と川中島合戦絵図という大きなパネル、
そして、川中島合戦に縁のあるいくつかの史跡があります。

まず目に入ってくるのが、信玄と謙信の一騎打ちの様子を再現した像です。
その傍らには、孫子兵法の一節から採られた風林火山を印した武田の軍旗、
上杉謙信が信仰していた毘沙門天を表す毘を印した上杉の軍旗が立てられています。
その他にも逆槐(さかさえんじゅ)、三太刀七太刀之跡、執念の石などがあります。

逆槐(さかさえんじゅ)
第4次川中島合戦で信玄が土塁を築くときに使用した杭が芽を出して、
成長したものと云われています。

三太刀七太刀之跡
乱戦の最中、上杉謙信他数騎が武田信玄の本陣を急襲したのは有名な話です。
このとき信玄は、謙信に馬上より斬りかかられ、信玄は一の太刀を軍配で受け、
二の太刀を腕で受け、三の太刀を肩で受けて傷を負ったのですが、
後で軍配を調べると、七つの刀傷が付いていたと云われ、それを記した碑となっています。

執念の石
作戦の失敗で窮地に立たされた武田信玄の本陣に上杉謙信が切り込んできたとき、
間一髪、原大隈が謙信に槍の一閃を繰り出し、信玄の命を救いました。
その槍は鎧の肩上に抜け、謙信を取り逃してしまい憤懣やるかたない原大隈は、
傍らにあった石を槍で突き通した、その石と云われています。

といった感じです。


朝からあいにくの空模様で、川中島古戦場跡を見学してから、
典厩寺へ向かう途中で雨が降り始めました。

そんなに遠くはないだろうと思っていましたが、
雨が降っていたからでしょうか遠く感じました。

典厩寺は元々鶴巣寺というお寺でしたが、川中島合戦で奮戦の末討ち死にした、
信玄の実弟武田典厩信繁の遺骸を、この寺の境内に埋葬したことから典厩塚となり、
合戦の後しばらくして、武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改めています。

お寺にはいるとすぐ左側に閻魔堂があり、日本一大きいといわれる閻魔像が安置されています。
傍らには、昨日刈萱山西光寺で見た地獄絵図のようなものが掛けられていました。
境内には、信玄の愛石、謙信の力石、典厩のお墓があります。
また、武田家に因む品が収蔵された蔵があり、頼むと鍵を開けて見ることが出来ます。

次の目的地である松代に向かうため、典厩寺を出てバス通りまで向かいました。
典厩寺にいる間に雨は上がっていて、歩いている途中、若干日も差してきました。
運行間隔が30分くらいなので、バスが行ってしまった後なら歩いて橋を渡ろうと思っていましたが、
バス停に着いて時刻表を見ると、あと3分くらいで来るらしいので待ちました。
バスに乗り、十数分で松代駅に到着しました。
さてどこに行こうかと、観光パンフレットを貰い検討、
とりあえず松代城跡を手始めに、真田邸、象山神社辺りを回ってみようと歩き始めました。
松代城は、築城年代不明で、戦国時代には「海津城」と呼ばれていました。
北信濃に進出した武田信玄が山本勘助に築かせたものといわれ、当時の海津城主は高坂弾正昌信。
上杉謙信の攻撃に備え、川中島の要となるこの地に築かれ、川中島合戦で武田軍はこの海津城に集結、
信玄と謙信の間で長きに渡り行われる戦の舞台となったお城です。
お濠に架かる橋を渡り、正面の門を入ると更に門があり、門の入り口は真っ直ぐ突入出来ないように、
ずれた位置にあります。
中に入ると、公園のようになっていて、海津城という石碑、展望台などがあります。

松代城を跡にして、次は真田邸へと向かいます。
真田邸は現在無料で入れます、ということで勇躍向かったわけですが、
工事中のため、見学出来る範囲が制限されていますと(涙)
工事の足組の合間を縫って奥に入り、庭だけを見ることが出来ました。
完成したらもう一度行こうと思います。

続いて向かったのが象山神社です。
「ぞうさん」じゃなくて「ぞうざん」です... って、このあと行った長国寺で言われました(笑)
だって、象山商店街で「ぞうさんスタンプ」って書いてあったんだもん...
結局の所、象山と「ぞうさん」を掛けていただけなんですけど。
「象山」は、佐久間象山の象山、地元の人か、新撰組や幕末に詳しい人なら知っているらしいです。
私は知りませんでしたが...

詳細はこちら... http://www.zouzan.com/

Viva !! 丸投げ!!


更に南下すると、山寺常山邸に辿り着きます。
ここには、池を中心とした庭園があり、椅子も置いてあるので、
休憩する場所として打って付けです。
訪れた頃は、時期的に紫陽花と睡蓮の花が咲いていました。

さて、山寺常山邸で休憩をしながら地図を眺めていると、
松代駅で地図を見たときは遠いなと思っていた象山地下壕が、
すぐ近くに感じられ、それならばということで象山地下壕へ行くことにしました。
ガイドブックでは有料となっていましたが、行ってみると無料でした。
入る前に、どこから来ましたかということで県名を聞かれました。
観光関係の調査か、行方不明になったときに何かに使うのか(笑)
基本的に、入れないところは柵があるので、行方不明はあり得ませんが、
コンクリートで固めてあるわけではないので、危険がないわけではありません。
本来なら番号札みたいなのを渡して、住所氏名くらいは書かせるべきだと思いますが、
きっと個人情報がとかそういった理由で出来ませんってなるんだろうな〜

というわけで、簡単な受付をして、ヘルメット着用義務があるということで、
ヘルメットを借りて被ってから、地下壕へと入っていきました。
前の方に数人いましたが、写真を撮りながら歩いているウチに独りぼっち。
岩肌剥き出しで薄暗い、しかも掘削工事が行われた時期と理由を考慮すると...

コェーーーーー

戦況が悪化した状況で、早急に工事を行わなければならないということは、
安全確保もままならない超特急工事で、かなりの犠牲者が出ているはず。
それを考えると、独りぼっちは...

しばらくは後ろから人が来ていましたが、一時期全く来なくなり、
逆に戻ってくる人もほとんど来ない。
見学コースって500mだよな〜、だいぶ歩いている気がするけど、
人が戻ってこないんだから、まだまだ先があるんだろうと歩き続けました。
やがて、明るい光が遠くの方に見えてきて、
あれ、出口って入口と同じところだよな〜 あれは何だろう...

コェーーーーーー

途中に柵があり、行けなくなっていましたが、
通気口か何かで外に通じているのかなと...
気温差と湿気で靄がかかり、ハッキリと先が見えませんでした。
九死に一生を得たとか、そんな感じのテレビ番組で、
再現VTRによく出てくるあのトンネルみたいな感じで、
幻想的だけどちょっと怖いといった感じでした。

トロッコの枕木跡があったり、掘削ロッドが置き去りにされたまま残っていたり、
非公開部分に書かれていた文字の写真パネルが展示してあります。

見学可能コースの一番奥まで辿り着き、そこから再び来た道を戻りました。
やはり、戻りの方が近く早く感じますね。
外に出ると、先ほどのまでの曇り空とは打って変わって、真っ青な青空。
ヘルメットを返却して、象山地下壕を後にしました。
さすがにこれだけ晴れると日焼けするので、日焼け止めクリームを塗りたくって、さーどうしよう。
長国寺まで行くのは遠いな〜
だけどさすがに行っておかないと、真田十万石の城下町に来た意味がない!!
というわけで歩きました。
京都みたいに短間隔でバスとか走っていればいいのですが、路線バスしかないので...

長国寺は真田家の菩提寺で、元は上田にあったものが、真田家が松代に移封になると同時に松代に移されました。
行事があるときは多いのかもしれませんが、普段は観光で訪れる人が少ないらしく、研究ですかと聞かれました。
たぶん研究目的なら詳しく説明してくれるんだろうな〜

霊屋とお墓は入り口に鍵が掛けてあります。
お寺に入って右側の建物が受付で、他に拝観者がいなければ鍵が掛かっているので、
お寺の人が案内してくれて、鍵を開けてくれるか、鍵を借りて自分で開けるかのどちらかです。
見学が終わったら、鍵を閉めるのはセルフで結構ノンビリしています(笑)

霊屋は2つで初代の信之と4代の信弘、当初は5つ並んで建っていましたが、
火災で燃えてしまったということです。
お墓は歴代の藩主やその家族のものです。
付近に大きな道路もなく人も少ないのでとても静かでした。

本堂も声を掛ければ入ることが出来る... と思います。
私が行ったときは、ちょうどお寺の人が掃除をしていて「上がって見ていく?」
と言われたので、せっかくだから上がらせてもらったので...

他にも真田家縁の寺社仏閣があったのですが、時間の都合で諦め、
次の目的地である松本へ向かうために長野駅へ行くため、歩いて松代駅へ戻ることにしました。
バスの時刻表を見たら時間が結構あるので、ゆっくり歩いていこうと...
途中、信号待ちで地図を見たところ、もう少し進むとバスの通り道らしい。
あー、乗る予定の1本前のバスがそろそろ通る頃だな、間に合うかな〜
と信号で待っているうちに、目の前をサーッとバスが通り過ぎていきました(涙)
仕方なく松代駅まで歩き、バス待ちです。

やがて到着したバスに乗り込み、長野駅へと向かいました。
長野駅へ到着し、ホテルに預けてあった荷物を受け取り、普通列車に乗って松本へ向かいました。

ここで一口メモ
長野新幹線で長野に行き、同じ日に松本などへ特急を使用して移動する場合、
みどりの窓口で同時に新幹線特急券と特急券を購入すれば、特急料金が半額になります。
また、新幹線特急券の有効期間の関係で、特急が先乗の場合は、新幹線は翌日でも構いません。
乗り継ぎ割引などでググルといろいろなケースを知ることが出来ます。
実際に購入する際は、複雑なのでみどりの窓口や旅行会社で問い合わせてください。

ここで、あえて普通列車に乗るという手もあります。
なぜかというと、途中の姨捨駅でスイッチバックを体験出来るからです。
特急列車は姨捨駅に停車せず、通過します。

JR篠ノ井線の本線は姨捨駅構内を通過しません。
論理的(鉄道のルール的)には、通過しているのかもしれませんが、
物理的に駅は別の所にあり、ポイント切り替えをして入ります。
また、姨捨駅は松本方面からしか入ることが出来ません。
長野駅 → 松本駅で姨捨駅に停車する電車は、ポイントを通過し、
ポイントを切り替えて、逆走行して姨捨駅に入ります。
松本駅 → 長野駅で姨捨駅に停車する電車は、姨捨駅に停車後、
逆走行してポイント前に戻り、ポイントを切り替えて長野方面へ走行します。

というわけで、松本駅へ到着しました。
今にも夕立の来そうな空模様だったので、この日は早々とホテルへ入りました。

3日目は松本市内の観光です...
があいにくの空模様、降ったり止んだりの天気で、ホテルを出発するときは雨。
予め長野駅で観光地図をもらっていたので、細々したアイテムをチェックしながら、
とりあえず屋根のある松本城へ移動しました(笑)

そういえば、こういうお城に入るのは初めてだな〜
下段は、防城戦用のいろいろな仕掛けとその説明。
中段は、資料館のようになっていて、主な展示物は鉄砲に関するもの。
上に行けば行くほど通路も細く階段も急で、最上段付近は、攻められたときに立て籠もるため、
1人ずつ登るのがやっとの細さの急階段で、登るのを諦めている人もいました。
写真を撮りたかったのですが、盗撮になりかねないので諦めました(笑)
最上段は見晴らしがよく、雲はかかっていましたが、遠くの山がよく見えました。
天気が良ければもっと遠くの方まで見えたのかもしれませんが...
お城を出て、お城と共通観覧の博物館を見学しました。
長野は戦時の空襲の影響が比較的軽微であったので、
農耕具、祭器などの保存状態が良く、種類も豊富です。

博物館を出ると、再び雨が降り始めていて、雨足も強くなっていました。
無料で自転車が借りられるので、天気が良ければ自転車移動を考えていたのですが、
この天気では厳しいので、松本城前のバス停でバスに乗り、
史跡が集まっているポイントに移動しました。

松本は意外とコンパクトにまとまっているので、観光しやすいです。
寺社仏閣と湧き水ポイントが南部に集中していて、
源智の井戸水は、もうジャンジャン汲んでと言わんばかりに水汲みグッズが置いてあります。
写真を撮っていると、近所の人が歩いて汲みに来たり、車にポリタンクを積んで汲みに訪れる人もいました。

それと、雨天じゃなかったら恐らく寄っていないだろうと思われる「はかり資料館」(笑)
お祖母さんの家が農家で養蚕もやっていたので、見たことあるアイテムが結構ありました。
上皿天秤、体重計だけでも数十種類、あとは繭の大きさを計ったり、色を計ったり。
色を計るというのは見本帳みたいなものです。
子供の頃、平気で触れていたお蚕も、今は見るだけで鳥肌が...
資料館としてはかなりマニアックな部類に入るかと(笑)

はかり資料館を出る頃には再び雨が上がっていました。
が、調子に乗ってルンルン歩いていると、いきなりの強雨。
これ以上歩くのは厳しいので、比較的規模の大きそうな全久院と深志神社に立ち寄り、
ホテルに戻り荷物を受け取ると、今回の旅の最終地穂高へと向かいました。
穂高では自転車移動を予定しているので、この雨が引き継がれると大変なのですが...
松本駅からJR大糸線に乗り数駅を経て、穂高駅に到着しました。
また雨かな〜 と思っていたら、意外や意外、晴れてはいないものの、雨は降っていませんでした。
事前調査で、駅前にあるレンタルサイクル屋さんが、自転車を借りると荷物を預かってくれて、
宿泊するホテルを伝えると荷物を運んで置いてくれる。
1泊のレンタルも可能で、そのままホテルまで乗っていき、ホテルに止めて、
翌日、ホテルから自転車で出掛けられて、帰りはホテルに荷物を預けて置くと、
荷物を回収してくれて、自転車を返したときに荷物を受け取れる。
料金は普通のレンタルサイクル屋さんと同程度で、使った時間分だけ後払い。

今回は1日目から自転車を使いましたが、2日目から使いたい場合や、
穂高まで車で来たりする場合は、事前に連絡しておくと、
ホテルまで自転車を届けてくれて、使い終われば回収してくれるので、凄い便利です。

行った日は、朝からの雨で、お客さんも少ないと言っていました。
携帯の番号を書いて、荷物の届け先などを伝えて、サイクリングマップをもらい、いざ出発。

さて、ここで今回なぜ穂高に来たのかということですが、
黒澤明の「夢」という映画のロケ地、大王わさび農園があるからです。
ここには、最終話のロケセットの水車小屋が残されています。
それに加えて、便利なレンタルサイクル屋さんと、周囲にいくつかの見所があるので、
車を使わない私にとって、とても最適な旅行先というわけです。
あいにくの空模様で、いくつか回ることが出来ませんでしたが...

まず、穂高駅からそれ程遠くない位置にある穂高神社、旅の安全祈願(今更かよ)です。
穂高には道祖神が沢山あり、普通の文字だけのものや、お地蔵さんみたいなものとは違って、
夫婦の描かれたものが多いです。
その道祖神に出迎えられて、穂高の旅のスタートです。

前日見た天気予報で、翌日も雨が確定的だったので、穂高の北部を巡るのは諦めています。
この翌日から降り続く雨、私が帰ってからとんでもないことに...
というか、私が松本から長野へ向かうときにも影響を与えています。


さて、穂高神社を出発した時点で午後2時、
もらった地図は大王わさび農園から回り始めるルートでしたが、
雨が降り出すと自転車での移動は大変なので、早いうちに細々したところを回り、
大王わさび農園に腰を落ち着けることにしました。

まず向かったのは、早春賦の碑です。

もらった地図と違うルートを走ったので、少し迷いました。
自転車用の地図だから、チョットした細い道でも太めに書いてあるのと、
細い道は、人の家に行ってしまう可能性があるので、慎重になってしまうことが、
失敗の原因だと分かっているのですが、わざわざ普通の地図を取り出すのも面倒なので...
まあ、自転車だから、少しくらい迷っても修正が効くのでいいのですが...
昨年の秋の京都奈良旅行で、奈良明日香村でも同じような失敗をしています。

橋の辺で行ったり来たりしながら、ようやくそれらしき道に...
川沿いを走って、しばらく行くと、目的地にたどり着きました。

サイクリングロードかと思ったら、車が通るみたいです。
やはり、わさびの産地だけあって、所々でわさびの畑を見かけます。
その次は「水色の時」の道祖神というものです。
再び自転車で走り始め、今日の最終目的地である大王わさび農園に到着です。
普通にわさびを育てている農場を観光用に公開しているもので、入場料は無料です。
宣伝にもなるし、訪れる観光客が多いから、売店などの売り上げもあるからいいのかな。
ちょっとそこまでコース、ちょっとのんびりコース、
ゆっくり満喫コースという3つのモデルコースがあったので、
一番長い、ゆっくり満喫コースを歩くことにしました。
雨後のため、ぬかるんでいる所があり、チョット歩くのが大変でしたが...
大王わさび農園の入り口には、売店とお食事所などがあり、かなり賑わっていました。
中にはいると広大なわさび畑が広がっています。
傍らにはわさびの加工を行っている小屋があり、
「作業中なので中には入れません」と書かれていました。
予約が必要なのか、時間帯に依るのか、ちょっとわかりませんが、ここ見学や体験などが出来るようです。
この先はわさび畑が続いているだけなので、ほとんどの人はここで引き返していきます。
予想以上に広く、途中で引き返そうかとも思いましたが、やがて端が見えてきたので、そのまま進みました。
やはり雨後の道は歩きづらいので、道のりも長く感じます。
道はわさび畑を一周しているので、先ほど通った道の向かい側を歩くことになります。
こちらは、わさび畑側が土手のようになっているので、あまり見えません。
涼風の小路となっているので、晴れの日に歩くと、涼しくていいのかもしれませんね。
歩いていると、やがて向かい側に渡る橋が見えてきました。
ここを渡ると、スタート地点になります。
ほとんど黒い覆いがされていますが、見学用ということなのか、一部通路付近の覆いが開けてあります。
陽の光を直接浴びたりすると、何かあるのかな。
わさび畑と同じ高さを歩ける部分があり、そこを歩いていくと、虹鱒?と鯉が泳いでいる池があります。
この池で鯉を眺めていると、次第に池の水面に波紋が生じ始め、いくつもの波紋が重なり合って、
やがて、水中の魚が見えなくなってしまいました。
いや、雨が降ってきたことを表現したかっただけなんですけど...
この池の畔(といっても20平方メートルくらいの池ですがね)の一画に、
屋根が付いていて椅子が置かれた、チョットした休憩スペースがあり、
そこで、チョット雨宿りしながら傘を取り出し、止む気配もないので、
とりあえず水車小屋に行こうと歩き始めました。
水車小屋の辺りは、ぬかるみが凄く、汚れがなんぼのもんじゃい!! 
と半分開き直って、ズカズカと歩きました。
この辺をウロウロしているうちに、雨が止み、今度は日が差してきました。
何とも気まぐれな天気ですが、まあ降っているよりはいいので...
水車小屋は三軒あり、それぞれ小屋の形状と水車の形状が異なっています。
小川を流れる水の音と、水車で持ち上げられた水が落ちる音、そして水車が発する、
木と木が擦れ合うようなギィーという音が、ノンビリとした感じを受けます。
また、わさび農場を流れる水は、北アルプスの雪解け水が、長い年月をかけて
湧き水となり湧き出したもので、陽が当たり始めると、水温と気温さの影響で、
水面に靄がかかり幻想的な雰囲気を醸し出します。

水車小屋の前を流れる小川の水は、少し行ったところで、大きい川と合流しています。
この日は、雨天だったので、こちらの川は濁流でした。

水車を見下ろせる位置に道祖神が建っていて、記念写真撮影スポットのようになっています。
ここに登って小川の奥の方を見ると、カヌーや小舟に乗った人達が遊んでいて、
川下の方からも、何かに掴まって泳いでいる人が上ってきました。
夏だけど、絶対寒いと思うんだ(笑)

静かなタイミングを選んで動画を撮っていたので、チョット時間がかかりましたが、
とりあえずいいものを撮ることが出来ました。
このアイテム、お祖母さんの家にあって、実際使っているのを見たことがあります。
稲穂から米粒を取って、この機械に入れてハンドルを回すと風が起こり、
軽いものは遠くに飛ばされ、重いものは下に落ちる。
重いものは中身が詰まっているいいもの、軽いものは中身が入っていないというわけです。
懐かしいな〜 と思いながら眺めていました。

水車小屋を後にして、わさび農園の入り口に戻り、お土産を物色、
この日は見るだけで、買うのは翌日ですが...
そして、せっかくわさび農園に来たのだから名物を食べようというわけで、
わさびソフトクリームを買って食べました。
この間、雨が降ることもなく、無事見学を終えることが出来ました。
自転車に乗り、ホテルへと帰りました。
あー、何か食べるもの買ってくれば良かったな〜
ホテルは朝食無しだったんだ...
というわけで、ホテルに着いてから、近くのコンビニに御飯の買いだし(涙)
あまり関係ないと思うけど、海苔わさびのおにぎりを買って食べました(笑)

そして翌日、朝からの大雨です。
どうしようかと悩みましたが、またしても開き直り、雨がなんぼのもんじゃい(笑)
レンタルサイクル屋さんに電話をすると「今日はどうされますか」と言われたので、
そのまま借りますと伝えて、荷物の回収を頼んで、ホテルを出発しました。
「キャンセルも出来ますが」と言うことでしたが、このまま帰っても面白くないので...


まず、大雨の中で寄ったのが、吉祥山東光寺。
そういえば、長野で寄った絵解きの寺は、苅萱山西光寺、
東と西だな〜 でも逆だけど... なんて思いながら拝観。

曹洞宗の寺院で、山門前に朱塗りの安曇野仁王様の大下駄があり、
「仁王様の下駄を履けば願い事が叶う」と伝えられています。
えっ、履いていないのかって!?
ちゃんと履いたよ、履いて下さいって書いてあるもの(笑)
もちろん、穂高の定番道祖神も安置されています。

境内には、蓮の花が咲いた池があったり、紫陽花が咲いていたり。
雨樋の雨が、吊ってある鎖みたいなものを伝ってお椀状の入れ物に落ち、
グワングワンと不思議な音がする、雨もいいものだな〜 とこのときだけは思いました。
そして、このお寺はもう一つ、本堂下で御戒壇めぐりができるのです。
善光寺の戒壇巡りのような大きいものではありませんが...
入り口付近に戒壇巡りの拝観料を入れる箱が置いてあり、そこにお金を入れてから、
靴を脱いで下駄箱に入れて入ります。
木戸を開けて中に入り、黒いカーテンを潜ると、そこは暗闇。
ただ、それほど長くないので、完全に真っ暗というわけではありません。
錠前も簡単に触ることが出来ました(見えるわけではありませんが)
出口側の黒いカーテンを潜り、木戸を開けて



本陣等々力家の向かいにある。 

昨日の午前中と同様


等々力屋(松本藩御本陣)って門構えだけだと思っていました。
昨日の帰り、今日の朝も通りましたが、それぞれ時間が遅かったのと、早すぎだっただけで、
二度目のわさび農園の帰りに通ったときには門が開けられ、中に入れるようになっていました。

しばらくして顔を上げて気付かれました(笑)
自分では気付かないが、私は声が小さいらしい

これ以上大きな声だと自分の耳でうるさく感じる
から聴力が良いのか
でも、昔聴力検査結果がすごい悪かったよ(笑)
でも、あれはたぶん反射神経の問題だと思うんだけど...
視力も同じで、今は確実に視力は落ちていますが、
当時は1.5だったけど、学校で検査をすると確実に再検査、
何が悪いって右と左がわからないんだから(笑)
適当に答えるから要注意(爆)

それはそうと、今日は雨だからと100円割引してもらいました。

確か3日目の大王わさび農園から帰るときは門が閉まっていて、
4日目の東光寺〜大王わさび農園で通ったときも門が閉まっていたから、
外から見るだけの場所なのかなと思っていたら、
大王わさび農園から



こちらも1泊2日のレンタルで1500円のところを300円割引してもらいました。
しなの庵さん
いつもなら、駅に到着して真っ先に荷物の預け先を考えるのですが、
なんと、荷物を預かってくれる、私みたいに宿泊する場合は、
宿泊先まで荷物を届けてくれると。
更に、翌日もホテルに荷物を預けて出発すると、回収してくれてレンタルサイクル屋さんまで
運んでいてくれるので、そのまま自転車を返しにいけば、荷物を受け取って、
そのまま駅へと楽々でした。
レンタルサイクル屋さんは駅前にあるので、今回は非常に楽でした。
4日目の午前中に借りていたのは私だけだったのかな、有名人でした(笑)
別に当日の朝キャンセルも出来るということでしたが、
行くところもないし、お昼くらいまで、いろいろ回ってみようかと...
お昼ちょっと前に雨が上がって、まだ居ようかなと思っていましたが、
まあ、良いかと帰途につくことにしました。
この判断は正しく、帰りに松本駅から乗った特急が、
名古屋方面からの電車で、私が乗った特急を最後に、
終日運休、まあ普通電車は松本発で走っていたので、
帰れなくなるということにはならなかったのですが、
かかる時間が違うし、長野駅での新幹線への乗り継ぎも考えると、
やはり、この特急に乗らないと、上手く乗り継げないので...
ただ、結局特急電車が若干遅れて、長野駅で新幹線の乗り継ぎに失敗。
調べた乗り換え案内にはなかった臨時の新幹線があり、
さすがに梅雨前線を持ち上げることは不可能なので、
ただ、3日目の安曇野は曇り時々晴れ
4日目も次第に雨足も弱まり、
これも僥倖
特急のワイドビューしなの、名古屋から松本、長野と走るのですが、
木曽地域での大雨により中央西線が運休、乗ろうとしていた91号だけ運行していたため難を逃れましたが、
約10分程度の遅れが発生していて、長野駅での長野新幹線臨時15時10分発に間に合わず(時間的には間に合っていましたが、お土産調達などの関係上)
次の15時25分発に乗ることが出来ました。
特急のワイドビューしなのは、ほとんど空席の状態で松本駅に到着していましたが、
長野新幹線は長野駅始発でしたが、自由席は満席状態。
途中の軽井沢駅で、結構多くの人が乗り込んできました。
行きは、やはり平日金曜日の朝ということもあって、空いていたのかな。
帰りは、やはり連休最終日ということもあって混んでいたのかな。
松本長野間の篠ノ井線普通電車は走っていたので帰れなくなるという最悪の事態だけは避けられましたが...
篠ノ井線が止まったら、あとは東京経由
もう一つ、ワイドビューしなのが発車する番線に発車時間を過ぎた新宿行きが停まっていて、
軽く乗ってみました(笑)
気付かずに乗ったのですが、この電車は特急あずさ新宿行きですというアナウンスが聞こえ、
やばい、逆方向だと急いで荷物をまとめて降りました(笑)