2006夏 長野(松代)、松本、安曇野(穂高)

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当初計画

1日目 自宅 − 高崎駅 〜 長野駅 − 川中島古戦場 − 松代(松代城趾、象山地下壕、長国寺) − 西光寺 − 長野泊
2日目 長野 − 善光寺 〜 松本 − 市内観光 − 松本泊
3日目 松本 − 市内観光 〜 穂高 − サイクリング − 穂高泊
4日目 穂高 − 大王わさび農場 〜 松本 〜 長野 〜 高崎駅 〜 自宅



実施旅程

(1日目)
自宅 〜 (親の車) 〜 高崎駅 〜 (長野新幹線) 〜 長野駅 〜 (徒歩) 〜 長野ホテル(荷物置き) 〜 (徒歩) 〜
西光寺 〜 (徒歩) 〜 善光寺 − 弥栄神社 〜 (バス) 〜 長野駅 〜 (徒歩) 〜 昼食探し、昼食 〜 (徒歩) 〜
西光寺(絵解き) 〜 (徒歩) 〜 長野電鉄長野駅 〜 (長野電鉄) 〜 権堂駅 − (徒歩) − 善光寺 〜 (バス) 〜
長野駅 〜 (徒歩) 〜 長野ホテル


(2日目)
長野ホテル 〜 (徒歩) 〜 長野駅 〜 (バス) 〜 川中島古戦場 〜 (徒歩) 〜 典厩寺 〜 (徒歩) 〜
水沢典厩寺バス停 〜 (バス) 〜 松代駅 〜 (徒歩) 〜 松代城趾 〜 (徒歩) 〜 真田邸 〜 (徒歩) 〜
山寺常山寺 〜 (徒歩) 〜 象山地下壕 〜 (徒歩) 〜 長国寺 〜 (徒歩) 〜 松代駅 〜 (バス) 〜 長野駅 〜 (徒歩) 〜
長野ホテル(荷物ピックアップ) 〜 (徒歩) 〜 長野駅 〜 (JR信越本線〜JR篠ノ井線) 〜 松本駅 〜 (徒歩) 〜 松本ホテル


(3日目)
松本ホテル 〜 (徒歩) 〜 松本城 〜 (徒歩−バス) 〜 松本市内観光 − 松本ホテル(荷物ピックアップ) 〜 (徒歩) 〜 
松本駅 〜 (JR大糸線) 〜 穂高駅(レンタルサイクル、荷物預け) 〜 (自転車) 〜 早春賦歌碑 〜 (自転車) 〜
水色の時道祖神 〜 (自転車) 〜 大王わさび農場 〜 (自転車) 〜 穂高ホテル

松本市内観光
松本郵便局発祥の地、牛つなぎ石、四柱神社周辺、松本城、伊織霊水、源地の湧き水、全久院、深志神社、松本はかり資料館、瑞松寺など


(4日目)
穂高ホテル 〜 (自転車) 〜 東光寺 〜 (自転車) 〜 大王わさび農場 〜 (自転車) 〜 等々力屋 〜 (自転車) 〜
穂高駅(レンタルサイクル返却、荷物受け取り) 〜 (JR大糸線) 〜 松本駅 〜 (JR篠ノ井線〜JR信越本線) 〜 
長野駅 〜 (長野新幹線) 〜 高崎駅 〜 (親の車) 〜 自宅




長野新幹線は本数が少ないので朝早く家を出ます。

安中榛名駅イラネ...






長野駅に到着し、ホテルに荷物を置き、とりあえず観光情報を得るために駅の観光案内所へ。

観光案内所に行くと、長野県内の各市町村の観光地から出されているパンフレットなどが置かれ、
観光に力を入れているなというのが感じられます。







とりあえず、今回の旅行で行く長野市内、松代、松本、安曇野のパンフレットと、
松代行きのバスの時刻表を貰うと、善光寺に向けて出発しました。

さすがに善光寺ともなると、地図を見ずに歩いて行けます。
が、思ったより距離がありました。







ぐるりんってどこかで聞いたことがあるな...

途中の宝くじ売り場で宝くじを買ったり、刈萱山西光寺をチラ見したり。
西光寺をチラ見しなければ、長野駅からバスで善光寺という手もあったのですが...







時間的に前後しますが、お昼を食べたあと、もう一度このお寺を訪れて、絵解きをしてもらっています。
そのときは写真がありませんので、ここで書いてしまいます。

お昼御飯を食べて、西光寺の境内に入り本堂へ行くと、お掃除をしているおばさんと仏前に座ってなにやら呟いている人がいました。
あれが絵解きなのかなと思いながらも、すいませんと声を掛けると、掃除をしていたおばさんが出てきたので、
絵解きをお願いしたいのですがと言うと、「じゃあ上がってくださいと」というので上がらせてもらいました。

あのおじいさんは、時々来て何かを熱っぽく話していくそうで、絵解きとは関係ないそうです(笑)


絵解きは「刈萱道心と石堂丸」、「十王巡り」、「地獄絵図」
AコースとBコースがあり、Aコース40分(300円)、Bコース1時間(500円)
時間には余裕があったので、Bコースの方を頼みました。

絵解きというのは、屏風絵を見ながら、物語を語っていく、紙芝居みたいなものです。
紙芝居を例えに出しても、最近の子供は紙芝居自体知らないだろうけど(笑)

「刈萱道心と石堂丸」の話の内容は実際に聞いて頂くとして...







あとの二つについて熱く語っておきます...

「刈萱道心と石堂丸」の話に続いて、「十王巡り」と「六道地獄絵図」の絵解きになります。
十王巡りは、絵解きというより、十王像の前に座って、それぞれの役割などを語るものです。

十王というのは、死者が地獄に行くか極楽に行くかを裁くための裁判官といったところでしょうか。
細かく分けると六道というものもあるのですが、ここでは省略します。

十王の中で有名なのがあの閻魔様です。
閻魔様は地蔵菩薩と同じ人とされており、常に人々の傍にいて生き様を見守っています。
そのため、閻魔様の前では嘘をつけない、全てお見通しというわけです。


裁判は7人目までは、死んだ日から7日ごとに行われ(初七日から四十九日)、
それに百ヶ日忌、一周忌、三回忌で全部で10人となります。
裁判は7人目までで判決が出るので、百ヶ日忌、一周忌、三回忌は、再審イメージです。
更に13人タイプがあり、七回忌、十三回忌、三十三回忌が追加されます。

昔は、それぞれの日に法要を行っていましたが、今は初七日と四十九日、一周忌、三回忌くらいでしょうか。
この法要により、死者の罪を減じてもらい、地獄の苦しみから救うというのが、本来の法要の意味とされています。


結局の所、お坊さん以外は地獄に落とされるとされています。
殺生、偸盗、邪婬、盲語、飲酒の五悪を行ってしまうからです。
昔のお坊さんは生ものを食べない(肉や魚など)結婚をしない、酒を飲まないなど戒律が厳しかったためで、
現代のお坊さんも、たぶん地獄行きなんだろうと...
あの「地獄に堕ちるわよ」とか言っているおばさんも、結局は地獄に堕ちるということになります(笑)

死者の供養、先祖の供養は大切なものなのだということを教えるために、十王信仰というものがあるわけです。







そして最後は六道地獄絵図です。
先ほどの十王巡りと密接に関係しているもので、地獄絵図にも十王が描かれています。

私は子供の頃に、地獄の出てくる物語を読んだことがあるので、大体知っているものでしたが、
いくつか異なっていたり、知らなかった部分があり、その中でも三途の川がだいぶ違っていました。

この絵の三途の川は、三途の川の由来である三つの途、重罪人は深い所、普通の人は浅瀬、お坊さんは橋を渡れるという三途。
これに基づいて描かれていました。
船で渡り、渡り賃が六文銭だという話は、これより少し後に出来た話らしいです。
更に渡り賃がないと身包みをはがされるという話も、後の話だそうです。


順番では次に十王による裁判となるのですが、この絵では地獄絵図が三途の川の次に描かれています。
有名な針の山、釜ゆで、血の池、賽の河原などの絵が続きます。
この中であまり知られていない地獄を挙げると、
子供が産めなかった女性も子孫が絶えるという理由で地獄に落とされたと言われています。
この絵が描かれた時代は、やはり男社会なので、女性の不貞に対して厳しく描かれています。
先ほどの十王巡りで坊さんは地獄に堕ちないと言いましたが、
それでもやはり人間、不届きな坊主もいるわけで、そんな様子も描かれています。

地獄は無限地獄です。
やんわりとした表現で説明すると、
例えば、地獄で鬼に頭をかち割られ、脳髄を啜られて死んでも、
また、生き返り、同じ苦しみが永遠と繰り返されます。
死んだ人が死んだり生き返ったりっていうのもおかしいけどと、
絵解きをしてくれた人も言っていましたが(笑)


所々色褪せているところもありますが、リアルな描写で、多少グロテスクな部分もあります。
話も若干グロテスクな内容を含んでいましたが、まあ子供にも聴かせる話なので、
それほどきつくはありませんでした。
実は私、グロ話には滅法弱くて、高校の時、授業の横道に逸れた先生がグロ話を始めて、
1人で顔を真っ青にして、廊下で休憩なんてことがあったくらい弱い(笑)


そして、最後が十王による裁判の様子ですが、これは先に触れているので、省略します。


その話が終わった後、世間話となり、

子供がこのような話を聴く機会がなくなっている。
それと、今時の子供は身近な人の死を経験することも少なくなっているということも、
やはり死に対する意識が薄くなってしまっている一因ではないかという話をしました。

人との接点が極端に少なくなっていて、例えば親戚付き合いでも家が遠かったりして自然と疎遠になり、
また近所付き合いが減ることで、よく遊んでくれるお爺さんやお祖母さんといった存在が少なくなります。
人との接点が多い生活の中では、やはり1人や2人は亡くなる方がいて、
自然に「死とは」ということについて、考えさせられる時期が存在し、
そこから死に対する意識が醸成されていく、ベースが出来ると思います。

きちんとした死に対する意識があれば、テレビやゲームなどで人が死んだり、
生き返ったりする場面に遭遇しても、実際の死はそんなものではないということになるのですが、
死に対する意識が育たないうちに、テレビやゲームなどで、
死んだ人が生き返ったりするようなものを繰り返し見ることによって、死というものが軽視される。
「なんで人を殺しちゃいけないの、生き返らせればいいんでしょ」
というのがテレビやゲーム内での笑い事では済まなくなるような気がしてなりません。

と、ちょうどいじめ問題が騒がれ始めた頃だったので、自然とそんな流れに話がいって、
聴者が私1人だけだったので、他にもいろいろ世間話をしました(笑)

1人だと効率悪いだろうけど、嫌な顔一つせずお話をしていただきました。
黙っていても観光客は来るんだと驕っていない長野の観光地、人々の温かさに触れた旅行でした...
ってまだ終わらないよ。







さてこれからどうしようか、と考える前に絵解きをしてくれた人が、

「今日はこれからどうするの?」

「今3時30分チョット中途半端ね、でもホテルに帰るには勿体ないわね」

だから怪しくないから(笑)


「善光寺はもう行った?」
「はい」
「じゃあ小布施とかどうかしらね〜」
というわけで私は、ガイドブックを取り出しチェック。

行くのに時間がかかるから、着いた頃には拝観時間とか終わっていそう。
「ちょっと難しいですね〜 適当に行ってみます」

「そういえば、その本ウチは載ってる?」

載っているので見せると「あー『十王巡りの』って入れてもらおうかしら」

というわけで、私も宣伝を仰せつかってきたので、


長野へお越しの際は、刈萱山西光寺の絵解きを体験してみてください。


一番効果的なのは、バスのアナウンス「次はかるかやさん」のバスの案内で「次はかるかやさん、
絵解き、十王巡りの刈萱山はこちらでお降り下さい」って。

あとはアレだ、長野駅から善光寺までバス100円だけど、西光寺で途中下車しても善光寺まで通しで100円にすればいいんだな〜







普通信用金庫って「○○しん」じゃないのかな、長野は「しんきん」しかないのか...
群馬は、高崎信用金庫だったか「たかしん」、前橋信用金庫だったら「まえしん」だけどな〜







郵便局も一風変わった造りです。













携帯電話会社のCMが頭を過ぎったのは私だけではないはず...







仲見世通りです、お土産物や食べ物を売っています。











この辺りは、善光寺周辺の宿坊です。

夕方頃には、スーツを着てネクタイをしたサラリーマンやジャージを着た学生が出てくるのをよく見ました。
研修や合宿で利用する人が多いのでしょうか。













とりあえず善光寺をチラ見して、近くの神社で何かをやるというので見に行きました。
弥栄神社の天王上げという儀式です、今回の旅行では特にイベントがないので、
何かないかと探して行ってきました。

天王上げは、長野の夏の風物詩だった「祇園祭り」の終わりの日に行われる行事です。

これと対になる行事が7月7日に行われる天王下ろしです。
この7月7日から7月14日までが「祇園祭り」となります。

最終日だから、特にこれといったものはありませんでしたが...







バスは、こんな所通るのか(笑)





善光寺 鐘楼


それが終わったら、再び善光寺に戻り、本堂拝観、戒壇巡り。
当然のことながら本堂は写真撮影出来ませんので、写真はありません。

戒壇巡りですが、本当の暗闇というのは初めてです。
まずどこへ行って良いのかわからない、前に人が居るのかもわからない、
ただ、後ろから来たおばちゃん集団は、賑やかに喋りながら歩いてくるので、認識は出来ましたが...
かく言う私も、錠前付近で前の人に体当たり、とまではいきませんがちょっと当たりました。

錠前を触るために停まったり、歩行速度が遅くなったりするから、当たるのも当然といえば当然ですが...

短いようで長かった暗がりを抜けて、ようやく明るい光が見えてきました。


暗所恐怖症克服企画

善光寺戒壇めぐり
松代象山地下壕
東光寺戒壇めぐり

の一つ目が完了しました(笑)







そして経蔵です。

おかしいな〜 動かないぞ〜

さっきおじさんがグルグル回してたけど...
これを一人で回せとな!?

あの〜 回らないんですけど〜

とは言えないので、渾身の力を込めて、


エイヤーーーーーーーーーーーー


あー、回った回った、危ない危ない(笑)








そのあと、境内の左奥にある塔に向かって歩きました。
途中、紫陽花の群生、この時期でも咲いているんだと感心しながら塔へ。

この塔は、善光寺日本忠霊殿で史料館を兼ねています。
明治時代以降の戦死者の霊を祀っているもので、全国で唯一の仏式らしいです。
資料館には善光寺に古くから残る仏像、善光寺の扁額などが展示されています。

また、古くから残る善光寺にまつわる逸話を絵に表したものが多数飾られています。

善光寺にお参りに来る途中で何々仏を見たとか、不思議な光が見えたといったものや、
怪我が治った、目が見えるようになったというようなものまであります。

牛に引かれて善光寺参りというのも、そんな逸話の一つです。







そのあと、別の道を通り本堂へ向かうと、途中でやはり紫陽花の群生地があり、

傍らに、2頭の牛の人形、


善子と光子


「森永乳業」親父ギャグか...











三門は改修工事中です。







さて、善光寺の拝観を終え、善光寺前からバスに乗り長野駅へ戻りました。
本当は、途中の刈萱山西光寺で降りて、絵解きを聞いていこうと思ったのですが、降りるバス停がわからなくて、面倒だから長野駅。
バス停は「かるかやさんまえ」で良かったっぽい。
「西光寺」としか覚えていなかったので...
バスの案内で「西光寺」はこちらでお降り下さいくらい言ってくれても良かったのに。

長野駅についたとき、小腹が空いていたので、西光寺に向かいながら御飯を食べようと、
るるぶをチェック、西光寺の裏手に蕎麦屋が有るっぽいことが判明。

長野といえば蕎麦というわけで、とにかく蕎麦を食べようと入ったのですが、

更科、田舎、もり蕎麦といろいろあるので、どんなものなのか聞いてみたら、
三色蕎麦があるので、それを食べてみてくださいと。
というわけで、それにしました。







恐らく過去の旅行で一番高い御飯1500円。
この蕎麦、食べ方の指南付きです(笑)

まず、更科から食べるんだそうです、薬味はわさびのみ。
早く食べないとコシがなくなる、そして他の薬味を入れるのは勿体ないと。

これが蕎麦かというくらい、全く新しい感覚です。

他の蕎麦も、薬味を入れながら美味しく頂きました。

最後はそば湯を頂き、お腹もいっぱいになったので、大満足でお店を後にしました。







このあと、西光寺を訪れて絵解きとなります。

西光寺を後にして、一路長野駅へ、とりあえず長野電鉄に乗ってみようと(笑)
長野駅から長野電鉄で権堂駅下車、秋葉神社にネタで行って来ました。

んー大したことないな...















と、フラフラ歩いていると、あっ善光寺だ(注 : 写真は使い回していません)
夕方の善光寺、仲見世通り静かだな、さすが朝の寺だけあると。

周辺の宿坊から、ネクタイ姿のサラリーマンやジャージを着た学生が、出てきて周辺を散策している姿も見受けられました。
あー観光で来るのはいいけど、研修とかでは来たくないなと思いながら、再びバスに乗るためにバス停へ。

バスに乗り長野駅へ戻ると、お土産屋さんでおやつをゲットし、ホテルへ戻りました。







で、何故こんな所に上州高崎が...